江戸時代おわりごろの文化2年(1805年)、京都と近江の国をむすぶ東海道の三条大橋~大津の区間に、荷車運搬の労を減らそうと「車石」(荷車のわだちにはまるように溝が彫られた石)が線路のように敷かれました。その数たるや5万個とも6万個とも。前近代の日本には珍しい、舗装された道路が何キロにもわたって続いたのです。
京都新聞|京都・滋賀観光深堀り
江戸時代に京都周辺の街道に整備されていた車石をご存じだろうか。米などを運ぶ牛車が通りやすいように道に敷いた石で、車輪が通る部分にあるすり減ったへこみが特徴だ。東海道や竹田街道、鳥羽街道では今でも名残を ...
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その後、明治初年度の道路改修でいっせいに撤去されたはずなのですが、車石はいまでも京都市山科区内の旧東海道沿いに点々と残っています。
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■ 民家石垣にはめこまれた車石。 |
とくに、京都市地下鉄蹴上駅~御陵駅にかけては、今現在も車石が民家石垣や道路の境界石などの形でリサイクルされていて、全国の痕跡ファンや移築ファンの間で車石探索が話題となることもしばしば(多分)。ちなみにその周辺の東海道は、現三条通とは微妙に位置が異なる旧道となっているので、都市開発を逃れた旧街道筋ならではの風情も楽しめます。
山科区内の旧東海道を歩くと、車石が道端になにげなく集められていたり、民家のお庭に庭石として再利用されていたり、いろんなかたちで車石が移築リサイクルされていて発見がとても楽しい。じつに楽しい。リサイクルされた車石が、まちなかに点在してるってちょっと不思議な風景ですね。
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■ 道端に並べられた車石。 |
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■ 民家のお庭に庭石として車石。 |
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■ 記念碑(京津国道改良工事記念碑)の台座として車石。 |
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■ お地蔵さんの祠を支える車石。 |
移築リサイクルされた車石なのですが、わざわざ石垣のコーナー部や記念碑の台座そして庭石など、目立つ位置にあえて置かれているような印象です。もしかしたら、単に部材としてリサイクルされたというよりも、その形や由来を愛でるといいますか、もっといえば車石愛に根ざした「数寄心」も感じる次第です。まさにビバ車石なまちが山科でしょうか。
ぜひみなさん、山科を訪れた際には車石を探し歩いてみてください。歴史が日常に埋め込まれた発見を必ずや目にするはずです。発見の喜びは鉄板です。保証します。
そしてそんなビバ車石な車石愛にとりつかれた方々もやはりいらっしゃるようで、「車石・車道研究会」なるグループを結成し、日々車石探索のフィールドワークや時にはシンポジウムも開催してらっしゃるご様子です。ええなあ。ええご趣味やなあ。
ぜひ機会を見つけて、「車石・車道研究会」に参加させていただきたいと、そのように願う昨今です。車石愛をわかちあえる仲間を心より欲する次第です。
そんな車石愛に抱かれつつ日々を過ごすなかで、昨日京都駅の構内を歩いていたら大変インパクトある看板を目にしました。びっくり仰天です。
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■ ドキッ!車石だらけの企画展! |
大津市歴史博物館「企画展:車石(くるまいし)-江戸時代の街道整備-」です。インパクトありまくりの巨大看板じゃありませんか。ついに来たか!
これは行かないと。ぜひ行かないと。
車石への興味関心と昂ぶる愛を同じくするみなさん、お誘い合わせのうえぜひ。
■ 今回の記事でご案内した車石エリア(山科区内の旧東海道)をマップで。
より大きな地図で ALIEN京都マップ を表示
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