2012年2月11日土曜日

【茨木】 おもしろいぞ!ビバ茨木の旅(前編)
~ まずは駅前、そして茨木別院から梅林寺へ~

茨木市に行ってきました。
こちらを訪れたのは実のところ今回が初めてで、 予定の合間に1時間ほど駅周辺をぼちぼちと歩いてみました。これがなかなかの見所づくしといいますか、足と視線を留めるほかないスポットが目白押しで、ビバ茨木な喜びで心が満たされた逗留となりました。

本ブログは京都の名を冠していますが、ブログ開設早々に京都から飛び出して茨木のまち案内をお許しいただけたら。茨木の魅力をしばしご堪能ください。

京都から茨木へは阪急烏丸駅から特急に乗って20数分、阪急沿線の人情味あるまちなみや変化に富む自然景観を車窓から楽しみながらの道行きです。ここで以前からの希望なのですが、阪急沿線を京阪特急で流してみたい。沿線風景はバラエティ豊かな阪急、電車本体はラグジュアリーな京阪特急がかねてからお気に入りでして、阪急と京阪が恩讐をこえて世紀の握手をと心待ちにしている次第です。

そんなことをいつものごとくぼやっと考えているうちに、阪急茨木市駅に到着。こちらの駅は初めての下車です。意外というか、かなりの都会。茨木市駅前は人出も多く、数多くの商店がお客でにぎわっていました。

■ 茨木は都会だよ。
これは侮れないまちです。気を入れて行かないと。そんな思いで駅を出て、駅前の大通りを西へと進みます。するとお寺の大きな屋根が見えてきました。いや極めて大きな屋根です。

■ 茨木別院、本堂の大屋根
真宗大谷派(東本願寺)茨木別院。ホームページによると「茨木別院は、かつて茨木御堂、茨木御坊、茨木掛所といい、現在でも“御坊さん”と呼ばれ地域の人々に親しまれ、北摂地域における教化の拠点となっています」ということです。

真宗大谷派(東本願寺)茨木別院
茨木別院は真宗大谷派(東本願寺)別院として400年以上に渡って、北摂地域における教化の拠点となっています。 大阪教区第10組・第11組の寺院が崇敬寺院となっています。 ...



通りから見えていた大きな屋根は本堂。江戸初期に創建の本堂が大破後、宝暦7年(1763年)に再建が開始、天保7年(1836年)頃に完成した建築だそうです。規模は正面15間(27m)、奥行14間(25m)。茨木市をふくむ北摂地域では、おそらく最大級の仏堂建築でしょう。


本堂大屋根の破風には、巨大な鳳凰の彫像も飾られていました。とても精巧なつくりで、美しい造形の鳳凰ですね。これはよいものを見せていただきました。実物は非常に大きなサイズで大屋根ともども見上げるような偉容を誇っています。これはいい。いいですね。

■ 本堂屋根破風の巨大鳳凰。
境内に入ると視野の隅に、みんな大好き太鼓楼が飛び込んできました。「太鼓楼」とは浄土真宗系の寺院に多く見られ、お城の隅櫓のような姿をした建築です。

城郭情報部-太鼓楼について(城郭伽藍)寺内町
浄土真宗系の寺院には、鐘楼の他に太鼓楼(太鼓堂というところもある)をもつ寺院がある。代表的な寺院は、愛知県安城市の本証寺や京都の西本願寺である。中でも本証寺は三河一向一揆の拠点となり、今でも寺の周囲に ...


■ 境内隅に太鼓楼を発見!
茨木別院の太鼓楼は境内北東隅に位置しており、ややもすれば見過ごしてしまうような存在ですがこちらもなかなかの偉容を誇っています。せっかくですので近くに寄ってみましょう。

■ 太鼓楼を近くまで。
外観は二層。他寺院の太鼓楼と同じく、見た目はほぼ城の隅櫓です。二階それぞれの壁面中央に火灯窓を配置しています。これも他例とよく似た意匠。さらに、屋根の勾配がのびやかな曲線を描いて美しいシルエットをなしています。一階の下部には、白色漆喰を斜めの格子目状にあしらった「なまこ壁」が、腰巻のように配されていました。なまこ壁のおかげでポップな印象を与える意匠です。

■ 太鼓楼をさらにアップ。
ビバ太鼓楼を胸に、さらに進みます。茨木別院を背にして、老若男女でにぎわう商店街を抜けると、一転して静かなエリアへ。次のポイントが視界に入ってきました。

■ ゴージャスな梅林寺。
「梅林寺」です。いやあ僕の名前的にも親しみがわくお寺です。
薬医門形式の表門と寄棟造りの本堂は、両方ともに屋根は本瓦葺。さらに表門の屋根には一対の鯱。後ろの本堂にも鯱。小さな規模ではあるけれど、やけにゴージャス感あふれるお寺です。

梅林寺
茨木にあるお寺。梅林寺についてのぺいじです。 見当違いだったわという方も、よかったらどうぞ。 茨木駅の近くにある梅の香るお寺。 そのお寺はこんなに歴史があったんです。 ...



現地での感動は、なんといっても表門の屋根!屋根の瓦に注目。表門屋根は今しも瓦祭りが絶賛開催中でした。獅子が跳ね、鬼瓦が吠え、鯱がにらむ。これぞまさに瓦フェスティバル。視界いっぱいに、特徴ある瓦が押し寄せてきます。職人技を堪能するとともに、建立当時のクライアントたるお寺のご趣味にも拍手を送りたい。ビバ瓦。ビバ梅林寺。

■ 獅子と鬼瓦そして鯱、瓦祭りです。
表門の門前には由緒ありげな石柱も。
「東宮殿下御假泊聖蹟」と刻まれてきました。建立銘は明治44年(1911年)、明治天皇崩御そして大正改元(1912年)の一年前に建てられた石碑です。東宮殿下(皇太子)とはもちろん、その後の大正天皇。門前の石碑は、明治末年に皇太子時代の大正天皇がこちらに宿泊されたモニュメントでした。

■ 明治末、皇太子宿泊の石碑。
近代を迎えて数十年、天皇あるいはそれに準ずる存在が姿を見せる、ましてや逗留までした事実は、地域社会にとって大切に語り継ぐ必要のある記念碑的なできごとだったんでしょうか。石碑を立てるという行為は、記憶を固定し語り継ぐ作業と意味を同じくするものかもしれません。

ゴージャスな屋根瓦とゴージャスなメモリーをともに備えた表門を後にして、さらに梅林寺の周囲を見てみました。

■ 梅林寺の周囲にはレンガ塀。
梅林寺の東側は、ぐるっとレンガ塀が囲っています。茶色のレンガが続く風景はなかなか味わい深いものですね。しかもレンガの一枚一枚が微妙に色彩を異にしていて、まるでモザイク模様のようなおもしろさです。表門と本堂の偉容もさることながら、周囲のレンガ塀も梅林寺の魅力でしょうか。

■ アールのついたレンガ塀コーナー。
いい趣味してるなと感じたのは、こちらのコーナー部分。角のアールがおもしろい。レンガ塀を直角につなぐのではなく、ゆるやかなカーブでコーナー部分を構成しています。なにやら間が抜けたような、そして含み笑いをしているような。モザイク状に連なるレンガが、アールを描く風景のおもしろさです。

■ 掘割かもしれない溝。
さらにレンガ塀には側溝が並走しているのですが、レンガ塀下部の石垣が溝底から立ち上がる様子をみると、あるいはこの側溝はかつて梅林寺の周囲を囲む掘割だったのかもしれません。みんな大好き掘割です。

近代より前の時代、地域の中心寺院の周囲には往々にして掘割がめぐっていました。戦乱相次ぐ中世には防御用の堀として。平和が続いた近世には寺院の区画用の溝として。こちらの側溝も、あるいはこうした掘割の痕跡であるような、ないような。いやそうであってほしい。市井の掘割ファンの一人としてはそのように願うばかりです。

こんな感じでビバ茨木な風景を、まずは駅前から茨木別院そして梅林寺まで、今回はご紹介しました。

次回はいよいよビバ茨木の旅(中編)、「茨木城編」です。
小学校の校門に再現された城門(しかし若干疑問の残る門)、そして神社の門に移築転用された城門(みんな大好き移築物件)、さらに旧河道など、こちらも見どころ多めなコンテンツです。

さらに次の後編では、「商店街探索編」として阪急本通商店街を起点に、そこから網の目状に広がるアーケード街をご案内。21世紀現在もなお賑わい続ける商店街の様子、みんな大好き看板建築、うだつの上がった町家、関西テイスト満載な立ち食いうどん屋、そして謎の水路など、商店街ウォッチングを予定しています。ビバ茨木シリーズ、最後までどうぞお楽しみに。

■ 今回の記事でご案内したエリアはマップで確認してみてくださいね。


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